Take it Home, for (__) Shall Not Repeat the Error.

作品解説

Sixte Kakinda, Kei Ito, Layla Yamamoto and Souya Handa

Curated by Souya Handa
Produced by SOUYA HANDA PROJECTS x TAMENTAI

半田颯哉

《6 AŬG 1945》(2023)

33.3 x 24.2 cm

キャンバス、アクリル絵の具

1945年8月6日、人類は初めて核兵器を使用し、広島という地に大きな被害をもたらした。河原温の日付絵画のスタイルでその日付を描いた作品。本展で半田は「広島の時間」にフォーカスを当てており、半田自身が1945年8月6日という時間に向き合い、キャンバスに向き合いつつ「ヒロシマ」を考える行為と時間が作品化されている

シクステ・カキンダ(コンゴ人アーティスト)

《From Hiroshima to Shinkolobwe》(2023)

映像

広島に投下された原爆に用いられていたウランは、当時ベルギー領だったコンゴの「シンコロブエ鉱山」から採掘されていた。本作は、コンゴ民主共和国出身で日本でアートを学んだカキンダが着目した、コンゴと広島を結ぶ「縁」を巡る作品の一つである。

本作ではコンゴから採掘されたウランが辿ったのとは逆に、広島から原爆を投下したエノラ・ゲイが出発したテニアン島、そしてアメリカ、コンゴへと遡っていく時間軸が提示される。本作についてカキンダはこう語っている。「これはウランがシンコロブエ鉱山から採掘され、アメリカで加工され、広島に爆弾として投下されるまでの移動に要した時間の反映である。これは作品内にも収録されているインタビューでオッペンハイマーが語ったように、『世界を変える』破壊的なプロジェクトについて考えることに費やされた時間の反映である。これは、日本、アメリカ、コンゴに消えない痕跡を残し、この3カ国を永遠に結びつけ、束縛する破壊的な行為に費やされた時間への反映である。」

山本れいら

《birthday(red)》(2017)

41 x 31.8 cm

キャンバス、アクリル絵の具

戦後の日米関係を原子力の観点から再考し、「原爆投下から始まり、原子力発電技術の輸入により維持され、そして福島第一原子力発電所事故に繋がっていく」という一連の流れを描き出した「After the Quake」シリーズより。アメリカ最初の原爆実験である「トリニティ実験」のイメージ。数字は実験が行われた日付である7月16日。1945年8月6日の「前」にある、広島に繋がる歴史の一つである。

伊東慧

《Riddle of Peace and War(site specific installation)》(2023)

インスタレーション

「WHO WILL BE THE NEXT SACRIFICE FOR THE PEACE」(誰が次の平和の犠牲か)・「WHO WILL BE THE NEXT SACRIFICE FOR THE WAR」(誰が次の戦争の犠牲か)という文字が印刷された紙が一定時間ごとにプリンターから排出されるインスタレーション作品。2022年にアメリカで発表された伊東による同名の作品のインスタレーションバージョンであり、元の作品は木製の土台の上に灰で文字が描かれている。例えば、アメリカにおいて原子爆弾は太平洋戦争を終わらせ、「平和」をもたらした兵器の一つであり、原爆の使用による犠牲も、開発・実験時の犠牲も「平和の犠牲」であると言える。このシニカルなフレーズが印刷され続けている本作からは、誰かの享受する「平和」のための犠牲が再生産され続けていることが示唆される。

半田颯哉

《Our Postwar is NOT Over》(2023)

《We Still Hold the Errors》(2023)

《Time is Moving But the Clock is》(2023)

30 x 30 cm

Arduino(LOLIN D1 R2規格), LCD, 木版

「広島の時間」に焦点を当てた作品シリーズ。《Our Postwar is NOT Over》では広島に原爆が投下されたとされる1945年8月6日8時15分17秒からの経過時間が秒数で、《We Still Hold the Errors》では同じく原爆投下からの経過時間が国際規格ISO8061に沿って表記された年月日時分秒で表示されている。それだけの時間、広島は核兵器のことを考え続け、核廃絶を訴え続けてきたことの証左であり、それだけの時間、世界からは核兵器が失われていないという現実を示している。《Time is Moving But the Clock is》は広島平和記念資料館に展示されている8時15分近くで止まった時計から着想を得ており、一見してデジタル時計の時間表示のように見える画面表示は、原爆投下時間だけを表示し続けている。現実に時間は流れているのに、同時にある時から止まり続けている時間が広島にはあることが暗示される。

半田颯哉

《Take it Home》(2023)

インスタレーション、お香

協力: 香老舗 松栄堂

本展タイトルでもある「Take it Home」(持ち帰る)をテーマとする、焚かれたお香の匂いによるインスタレーション作品。お香の匂いは服や髪に附着し、鑑賞者は半強制的にその匂いを「持ち帰る」こととなる。匂いは原爆投下直後の広島市内を訪れることで、目に見えない残留放射能による「入市被爆」が起きたことのメタファーであると同時に、この香りを嗅いだ時に展示を見たこと、またそのときに考えたことを思い出して欲しいという思いも込められている。

本展では香老舗 松栄堂の協力により、実際に展示で使われているお香と同じ試香品を持ち帰ることができる。


※お香の配布は終了しました

伊東慧

《Eye Who Witnessed #70》(2020-2021(プリント・2023))

《Eye Who Witnessed #84》(2020-2021(プリント・2023))

59.4 x 84.1 cm

インクジェットプリント、光沢紙(オリジナルのCプリント(史料と太陽光によって制作)から拡大)

日本の被爆者とアメリカの被爆者(ダウンウィンダーズ・風下住民。アメリカ国内での核実験の風下に位置して被曝した住民や、本作では核兵器開発に従事して被曝した技術者を含む)の目を歴史史料からサンプリングし、そのイメージを太陽光によって焼き付けている写真作品。「核の太陽」を目撃した目が、本物の太陽によって像を結ばれている。オリジナルは108つのプリントからなるが、本展ではそのうちの2つをピックし、拡大して印刷した。どの目が日本の被爆者で、どの目がアメリカの被爆者なのか、判然とはしない本作からは、被曝の被害に国境のないことが示唆される。

山本れいら

《American flag on a document of Trinity》(2019)

22 x 27.3cm

pastel, collage on a canvas board

「After the Quake」シリーズより。アメリカでの最初の核実験であるトリニティ実験を報じる記事のイメージの上にアメリカ国旗のドローイングが描かれている。アメリカ国内の被爆者の存在に目を向けた伊東の《Eye Who Witnessed》に呼応し、「アメリカでの核」の存在を際立たせている。

伊東慧・アンドリュー・ポール・カイパー(音楽

《New Light – Narrowcast (USA)》(2019)

映像

「New Light」は、核実験が行われた国で展開されるビデオ・インスタレーション・シリーズである。その国の核実験の映像を再加工し、各フィルムを数千枚の静止画に分解、そして、太陽光で着色した露光紙に各フレームをプリントし直し、最後にそのプリントを再びスキャンして1本の映像に戻している。露光中にゴジラのフィギュアやエノラ・ゲイのおもちゃのようなオブジェクトも置かれていることがある。

各作品の音響は、その国出身の作曲家/サウンドアーティストによって作曲されており、《New Light - Narrowcast (USA)》においては、機密指定を解除された映像に合わせて、核爆弾の開発に貢献したマンハッタン計画のエンジニアを祖父に持つアメリカのサウンドアーティスト、アンドリュー・ポール・カイパーが作曲を担当している。

「カメラを使わない写真」を主な作品形態の一つに挙げる伊東のこうした作品は、伊東自身がカメラとなり、歴史史料や社会を映し出していると見ることもできる。

山本れいら

《therefore I want it (Postwar is over)》(2019)

53 x 45.5 cm

キャンバス、アクリル絵の具

「After the Quake」シリーズより。「Postwar is Over(戦後は終わった)」というフレーズはジョン・レノン、オノ・ヨーコの「WAR IS OVER!」から、吹き出しはアメリカのポップアーティストであるロイ・リキテンシュタインから、波のイメージは葛飾北斎の波と震災時の津波のイメージをオーバーラップさせている。山本の作品に描かれる「Postwar is Over(戦後は終わった)」というフレーズは、まもなく80年目を迎えようとしている日米関係を初めとした戦後体制の在り方を再考しようというものであり、高度経済成長期もバブル期もとうに過ぎ去った日本は「もはや戦後ではない」からこそ日本社会の現実を直視することを促すものでもある。

しかし同時に、広島という土地においては、「戦後」という言葉は違う意味を持ちうるのではないだろうか。広島の戦後は「世界から全ての原子爆弾がなくなるまで終わらない」と考えたとき、本展における「戦後は終わった」というメッセージは、広島の願いに呼応するものとなる