Take it Home, for (__) Shall Not Repeat the Error. (In Tokyo)

アーカイブ・作品解説

Sixte Kakinda, Kei Ito, Layla Yamamoto and Souya Handa

Curated by Souya Handa
Produced by SOUYA HANDA PROJECTS

作品解説

シクステ・カキンダ(コンゴ人アーティスト)

《From Hiroshima to Shinkolobwe》(2023)

映像


広島に投下された原爆に用いられていたウランは、当時ベルギー領だったコンゴの「シンコロブエ鉱山」から採掘されていた。本作は、コンゴ民主共和国出身で日本でアートを学んだカキンダが着目した、コンゴと広島を結ぶ「縁」を巡る作品の一つである。

本作ではコンゴから採掘されたウランが辿ったのとは逆に、広島から原爆を投下したエノラ・ゲイが出発したテニアン島、そしてアメリカ、コンゴへと遡っていく時間軸が提示される。本作についてカキンダはこう語っている。「これはウランがシンコロブエ鉱山から採掘され、アメリカで加工され、広島に爆弾として投下されるまでの移動に要した時間の反映である。これは作品内にも収録されているインタビューでオッペンハイマーが語ったように、『世界を変える』破壊的なプロジェクトについて考えることに費やされた時間の反映である。これは、日本、アメリカ、コンゴに消えない痕跡を残し、この3カ国を永遠に結びつけ、束縛する破壊的な行為に費やされた時間への反映である。」

山本れいら

《birthday(red)》(2017)

41 x 31.8 cm

キャンバス、アクリル絵の具


戦後の日米関係を原子力の観点から再考し、「原爆投下から始まり、原子力発電技術の輸入により維持され、そして福島第一原子力発電所事故に繋がっていく」という一連の流れを描き出した「After the Quake」シリーズより。アメリカ最初の原爆実験である「トリニティ実験」のイメージ。数字は実験が行われた日付である7月16日。1945年8月6日の「前」にある、広島に繋がる歴史の一つである。

半田颯哉

《6 AŬG 1945》(2023)

9 AŬG 1945》(2023)

35 x 25 cm

キャンバス、アクリル絵の具


1945年8月6日、人類は初めて核兵器を使用し、広島という地に大きな被害をもたらした。本作は河原温の日付絵画のスタイルでその日付を描いた作品である。本展で半田は「広島の時間」にフォーカスを当てており、半田自身が1945年8月6日という時間に向き合い、キャンバスに向き合いつつ「ヒロシマ」を考える行為と時間が作品化されている。


1945年8月9日は、今のところ、人類が最後に核兵器を使用した日付である。「ナガサキ」は、日本でも有数のキリスト教の根付いた地域である。アメリカというキリスト教の国が、長崎というキリスト教徒の街の上に原子爆弾を炸裂させた。この事実は、ヒロシマとは異なる意味と文脈を持つ。

半田颯哉「ヒロシマと私」エッセイ(2023)

《6 AŬG 1945》に付随するエッセイ。

1994年の夏。自分が生まれたのは、日本が戦争に負けてから、ほぼ半世紀が経ったくらいだ。
自分は広島出身の両親の元、広島で育った。厳密にいうと、自分がいたのは廿日市。電車に15分も乗れば広島市に入るが、実は微妙に文化が違う。

広島市の小学校では夏休みには登校日がある。原爆の日に学校に集まる。
廿日市にはない。原爆の日は、いつもと同じ夏休み。ただ、8時15分、外からはサイレンが聞こえ、教育テレビ以外はどのチャンネルも全部式典を映していた。

カタカナで書くヒロシマは、少し遠かった。もちろん原爆は経験してないし、自分は被爆何世でもない。広島市内で育ってもいない。

18歳、高校を出てから東京に来た。8月6日、テレビをつけた。噂には聞いていたが、広島が映るのは一瞬で、すぐにいつものモーニングショーの様子に戻った。ヒロシマは、ここからはもっと遠かった。新幹線の4時間よりも遠い。

つまり自分は、ヒロシマのずっと近くにいたのだ。

でも、だからこそ広島は扱えない。広島は重いのだ。簡単に消費していいものではない。外から簡単に触れていいものではない。

東京に来てから、ヒロシマの記憶を扱う研究室を見学したことがあった。「広島の人は、広島のことを伝え残すという使命を内在化している」。そう研究室の教授が言った。

「内在化」。よく聞くが、今ひとつ意味のピンと来ない単語でもあった。だが、この言葉は腑に落ちた。「広島のことを伝え残す」ことの必要性は、自分にとって疑うまでもない当たり前のことだったのだ。

自分はそれを内在化していた。内在化していない人は世の中にたくさんいた。ならば、誰がヒロシマを扱うのか。

決して一つの出来事だけでスイッチが切り替わったわけではない。だが、こうした出来事の積み重ねで、私の中の決意は、少しずつ、少しずつ固まっていったのだ。


半田颯哉「ナガサキと私」エッセイ(2023)

9 AŬG 1945》に付随するエッセイ。

長崎にサッカーを観に行った。2018年の春だった。
自分がJリーグを見始めて20年近く経っていた。

ゴールデンウィークに開催された長崎対広島の試合。東京から飛行機で直行した自分は、広島から車で来ていた両親とスタジアムで合流した。
試合を見て、夕食を共にし、一泊して両親と観光に行った。

原爆資料館で教会の瓦礫を見た。
アメリカにとって、きっと日本人は異教徒で、異人種で、理解しがたい敵だった。
だが長崎はキリスト教徒の街だった。彼らは、同胞の上に爆弾を落としたのだ。

美術館に行ったあと、私は両親と別れ、一人で長崎を巡ることにした。

広島と同じく、長崎もまた路面電車の街だった。

教会に行けば、イエズス会のマークがあった。
私の通っていた中学・高校は、イエズス会の学校だった。

そして広島と同じく、長崎は原爆が投下された土地だった。

一人の私は、車を借りて少し遠くまで足を運ぶことにした。
隠れキリシタンの史跡を見に行った。
そこにもやはり、イエズス会の印があった。

長崎の街は、よく見知った文化に溢れていた。
私の人生は、長崎の歴史の先にあった。

伊東慧

《Riddle of Peace and War(site specific installation)》(2023)

インスタレーション


「WHO WILL BE THE NEXT SACRIFICE FOR THE PEACE」(誰が次の平和の犠牲か)・「WHO WILL BE THE NEXT SACRIFICE FOR THE WAR」(誰が次の戦争の犠牲か)という文字が印刷された紙が一定時間ごとにプリンターから排出されるインスタレーション作品。2022年にアメリカで発表された伊東による同名の作品のインスタレーションバージョンであり、元の作品は木製の土台の上に灰で文字が描かれている。例えば、アメリカにおいて原子爆弾は太平洋戦争を終わらせ、「平和」をもたらした兵器の一つであり、原爆の使用による犠牲も、開発・実験時の犠牲も「平和の犠牲」であると言える。このシニカルなフレーズが印刷され続けている本作からは、誰かの享受する「平和」のための犠牲が再生産され続けていることが示唆される。

半田颯哉

《Our Postwar is NOT Over》(2023)

《We Still Hold the Errors》(2023)

《Time is Moving But the Clock is》(2023)

30 x 30 cm

Arduino(LOLIN D1 R2規格), LCD, 木版


「広島の時間」に焦点を当てた作品シリーズ。《Our Postwar is NOT Over》では広島に原爆が投下されたとされる1945年8月6日8時15分17秒からの経過時間が秒数で、《We Still Hold the Errors》では同じく原爆投下からの経過時間が国際規格ISO8061に沿って表記された年月日時分秒で表示されている。それだけの時間、広島は核兵器のことを考え続け、核廃絶を訴え続けてきたことの証左であり、それだけの時間、世界からは核兵器が失われていないという現実を示している。《Time is Moving But the Clock is》は広島平和記念資料館に展示されている8時15分近くで止まった時計から着想を得ており、一見してデジタル時計の時間表示のように見える画面表示は、原爆投下時間だけを表示し続けている。現実に時間は流れているのに、同時にある時から止まり続けている時間が広島にはあることが暗示される。

伊東慧

《Eye Who Witnessed (Site Specific Installation)》(2023)

UVプリント、アクリル、LEDライト、三脚


日本の被爆者とアメリカの被爆者(ダウンウィンダーズ・風下住民。アメリカ国内での核実験の風下に位置して被曝した住民や、本作では核兵器開発に従事して被曝した技術者を含む)の目を歴史史料からサンプリングし、そのイメージを太陽光によって焼き付けている写真作品。「核の太陽」を目撃した目が、本物の太陽によって像を結ばれている。オリジナルは108つのプリントからなるが、本展ではそのうちの2つをピックし、拡大して印刷した。どの目が日本の被爆者で、どの目がアメリカの被爆者なのか、判然とはしない本作からは、被曝の被害に国境のないことが示唆される。

山本れいら

《American flag on a document of Trinity》(2019)

22 x 27.3cm

pastel, collage on a canvas board


「After the Quake」シリーズより。アメリカでの最初の核実験であるトリニティ実験を報じる記事のイメージの上にアメリカ国旗のドローイングが描かれている。アメリカ国内の被爆者の存在に目を向けた伊東の《Eye Who Witnessed》に呼応し、「アメリカでの核」の存在を際立たせている。

伊東慧・アンドリュー・ポール・カイパー(音楽)

《New Light – Narrowcast (USA)》(2019)

映像


「New Light」は、核実験が行われた国で展開されるビデオ・インスタレーション・シリーズである。その国の核実験の映像を再加工し、各フィルムを数千枚の静止画に分解、そして、太陽光で着色した露光紙に各フレームをプリントし直し、最後にそのプリントを再びスキャンして1本の映像に戻している。露光中にゴジラのフィギュアやエノラ・ゲイのおもちゃのようなオブジェクトも置かれていることがある。

各作品の音響は、その国出身の作曲家/サウンドアーティストによって作曲されており、《New Light - Narrowcast (USA)》においては、機密指定を解除された映像に合わせて、核爆弾の開発に貢献したマンハッタン計画のエンジニアを祖父に持つアメリカのサウンドアーティスト、アンドリュー・ポール・カイパーが作曲を担当している。

「カメラを使わない写真」を主な作品形態の一つに挙げる伊東のこうした作品は、伊東自身がカメラとなり、歴史史料や社会を映し出していると見ることもできる。

半田颯哉

《Take it Home》(2023)

インスタレーション、お香

協力: 香老舗 松栄堂


本展タイトルでもある「Take it Home」(持ち帰る)をテーマとする、焚かれたお香の匂いによるインスタレーション作品。お香の匂いは服や髪に附着し、鑑賞者は半強制的にその匂いを「持ち帰る」こととなる。匂いは原爆投下直後の広島市内を訪れることで、目に見えない残留放射能による「入市被爆」が起きたことのメタファーであると同時に、この香りを嗅いだ時に展示を見たこと、またそのときに考えたことを思い出して欲しいという思いも込められている。

本展では香老舗 松栄堂の協力により、実際に展示で使われているお香と同じ試香品を持ち帰ることができる。

山本れいら

《therefore I want it (Postwar is over)》(2019)

53 x 45.5 cm

キャンバス、アクリル絵の具


「After the Quake」シリーズより。「Postwar is Over(戦後は終わった)」というフレーズはジョン・レノン、オノ・ヨーコの「WAR IS OVER!」から、吹き出しはアメリカのポップアーティストであるロイ・リキテンシュタインから、波のイメージは葛飾北斎の波と震災時の津波のイメージをオーバーラップさせている。山本の作品に描かれる「Postwar is Over(戦後は終わった)」というフレーズは、まもなく80年目を迎えようとしている日米関係を初めとした戦後体制の在り方を再考しようというものであり、高度経済成長期もバブル期もとうに過ぎ去った日本は「もはや戦後ではない」からこそ日本社会の現実を直視することを促すものでもある。

しかし同時に、広島という土地においては、「戦後」という言葉は違う意味を持ちうるのではないだろうか。広島の戦後は「世界から全ての原子爆弾がなくなるまで終わらない」と考えたとき、本展における「戦後は終わった」というメッセージは、広島の願いに呼応するものとなる。

シクステ・カキンダ
コンゴ民主共和国出身。アフリカ出身アーティストとして最初の東京藝術大学大学院修士課程修了者であり、修了制作作品である「Intimate Moments/Monologue」は、同大学の卒業・修了買上賞を受賞した。2023年、同大学より博士号を取得。2020年に広島で初個展「Intimate Moments」(gallery G)を開催。日本人アーティスト鈴木ヒラクによる「Drawing Tubeプロジェクト」(2020年)への参加や、抜粋版がWords Without Bordersによって出版されたコンゴ人作家シンゾ・アアンザとの共同制作によるコミック『Men and Beasts』(2017年)など、その活動は多岐にわたる。ドローイングを他の芸術分野に拡張する可能性を探るため、Expanding Drawing Labを主宰している。

伊東 慧
日本生まれ、アメリカ・東海岸エリアを拠点とする。主にカメラを用いない写真やインスタレーションアートを制作する。2014年、ロチェスター工科大学卒業。2016年、メリーランド芸術大学大学院修士課程修了。現在、ニューヨークのInternational Center of Photography (ICP)で教鞭を執る。作品の主な収蔵先に、現代写真美術館(シカゴ)、ノートン美術館(フロリダ)、マーバ&ジョン・ウォーノックA-I-Rコミッティー、En Foco、カリフォルニア・インスティテュート・オブ・インテグラル・スタディーズなど。

山本 れいら
1995年、東京都生まれ。高校から大学にかけてアメリカ留学を経験し、シカゴ美術館附属美術大学でアートを学ぶ。アメリカを知る日本人として、また一人の日本人女性としての視点から「日本とは何か」を問う作品を制作する。主な作品に戦後の日米関係を原子力「After the Quake」シリーズの他に、妊娠・出産で女性が引き受ける困難を表現した「Pregnant's autonomy」シリーズ、少女漫画・アニメを通した女性のエンパワメントと連帯を表明する「Who said it was simple?」シリーズなど。

半田 颯哉
1994年、静岡県生まれ、広島県出身。アーティスト・インディペンデントキュレーター。技術と社会的倫理の関係や、アジア人/日本人としてのアイデンティティを巡るプロジェクトを展開し、コマーシャルギャラリーや企業とのコラボレーションにより様々な展覧会をキュレーションしている。また、1980年代日本のビデオアートを対象とする研究者としての顔も持っている。東京芸術大学大学院修士課程および東京大学大学院修士課程修了。